30年のシスターフッド アメリカツアー
2006-08-10T02:40:06+09:00
30yearssisterhood
映画「30年のシスターフッド」のアメリカ上映ツアーについてのお知らせ&報告ブログです。
Excite Blog
8月19日 世田谷らぷらすにてツアー報告会開催!
http://sisterhood.exblog.jp/2794279/
2006-08-10T02:40:06+09:00
2006-08-10T02:40:06+09:00
2006-07-13T23:30:56+09:00
30yearssisterhood
報告会案内
タリー映画『30年のシスターフッド:1970年代ウーマンリブの女
たち』アメリカツアーの報告ビデオ上映とお話の会のお知らせです。
各会場での、日本のリブ運動への様々な感想、反応、議論の様子から、
まるでロックバンドのような、ツアー最中のバスでの移動風景なども出
てきそうな予感!
報告会では、うららさとこ、瀬山紀子、山上千恵子の3監督による記録
ビデオを上映し、3監督と秋山洋子さんによる報告があります。もしか
したら、ジャズサックス奏者で、このツアーのコーディネーターの一人
だったMASAさんも、報告者としていらっしゃるかもしれません。
また、シカゴ大学のイベントやその後の交流でも大活躍だった、シカゴ
大学の学部生のローレンさん、学部を卒業されたばかりのショーンさん
も、報告者としてご参加いただけることになったようです。
報告会の詳細は以下です。
ふるってご参加ください!
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ツアー報告ビデオ上映とお話
8月19日 PM6:30〜9:00
世田谷男女共同推進センターらぷらす 研修室4
報告者:秋山洋子 瀬山紀子 山上千恵子 うららさとこ
参加費 無料(茶菓付きです)
問い合わせ先:sisterhoodjapan@gmail.com
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土井ゆみさんのツアー報告
http://sisterhood.exblog.jp/2794012/
2006-07-13T23:13:00+09:00
2006-07-13T23:24:03+09:00
2006-07-13T23:13:38+09:00
30yearssisterhood
ツアー報告
by 土井ゆみ (『月刊女性情報』 2006年4月号掲載)
『30年のシスターフッド』(監督:山上千恵子、瀬山紀子、企画:女たちの歴史プロジェクト)は、70年代のウーマンリブ運動に参加した女たちにインタビューをしたドキュメンタリー映画だ。
この映画の英語字幕版が昨年完成して、アメリカ上映ツアーが企画された。アメリカで、日本のリブ運動を記録した映画の連続上映ツアーが企画されたのは、初めてのことではないだろうか。中心になって企画してくださったのは、シカゴ大学で教える山口智美さん。敏腕な彼女の働きで、東海岸と中西部の大学を中心に11箇所を巡る3週間のツアーが瞬く間に準備され、私も出演者の一人としてツアーに招待された。私が参加したのは、ツアー後半のミシガン大、シカゴ大、イリノイ大、セントルイス・ワシントン大の上映会と授業だ。
私たちを呼んでくださったのは、各大学の女性学や日本文化の学部など。一時間弱の映画上映が終わってから、監督と出演者、大学関係者への質疑応答という形式はどの大学も同じだった。そのせいか、各大学の特色が際立ち、白人生徒がほどんどの裕福な大学から、雑然としているが生徒の人種や年齢にバラエティのある大学など、アメリカ社会の縮図を目の当たりにする体験でもあった。
質疑応答で一番記憶に残っているのは、イリノイ大学の小さな上映会に来てくださったアメリカ先住民男性のコメント。
「初期のリブの女たちが、長い時間座って延々と話をした点が興味深い。自分たちナバホの部族内でも物事を決める時に、上から下に決定事項を伝えるというやり方ではなく、ともかく座り込んで延々と話しあって物事を決めて行く」
ナバホとリブの共通点という指摘が、面白かった。つまり、物事を決める時に個から出発させるやり方のことだ。非効率的だったが、あの体験の中にこそ、リブの力と可能性があったのだと、改めて思い返す素晴らしい指摘をして頂いたと思う。
このツアーに参加する前は、少し不安な思いもあった。かつて、大学を含めた既成の権威に疑問を投げつけたリブ運動。本来なら、家庭や街、企業や地域の中で躍動しているはずの運動が、女性学という枠の中で整理/学究されている現状への残念な思いがあったからだ。しかし、今回シカゴ大のノーマ・フィールドさんと山口さんが教える "Feminist Struggles in Japan"の授業に参加し、その印象は変わった。
ノーマさんが授業で率直に問題点を提起し、生徒たちがそれにとまどいなく返答する様子は、学問の場らしい気風があふれ、好感が持てた。学生たちは、この授業の学習結果を伝えるホームページを作り、リブ運動の歴史や印刷物の一部なども記録されている。その中には、私のいたグループが作った懐かしいチラシもあって驚かされた。
これらリブの記録に命が吹き込まれ、若い人たちの暮らしの中で生き返る日がきて欲しい。そんなことを願いつつ、収穫と刺激のあるツアーを終えた。ツアーの様子はhttp://sisterhood.exblog.jp/に詳しく報告されている。
セントルイス・ワシントン大学の授業風景。
シカゴ大学の "Feminist Struggles in Japan" クラスのホームページより。
http://femjapan.pbwiki.com/
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ツアー会場配布プログラムがダウンロードできます
http://sisterhood.exblog.jp/2479247/
2006-06-11T23:01:00+09:00
2006-06-11T23:04:50+09:00
2006-06-11T23:01:27+09:00
30yearssisterhood
ツアー情報
シカゴ大学の学生によるサイトfemjapan (Feminism in Japan)のスペースに、『30年のシスターフッド』アメリカツアーの各会場で配布したプログラムを掲載しました。
こちらのページからダウンロードできます。
http://femjapan.pbwiki.com/Papers
また、シカゴ大学生のショーンさんの、『30年のシスターフッド』映画と、ツアーの人たちとの出会いについてなどを書いたレポート、大学院生ケイティーさんの、映画のレビューもダウンロードできます。両方とも、力のはいったレポート&レビューです。
また、学生さんたちによる更新&アップロードがある予定。随時こちらでも更新情報など、お知らせしていきたいと思います。]]>
シカゴ大学生による日本のフェミニズムサイト、続々更新!
http://sisterhood.exblog.jp/2461813/
2006-06-10T07:56:28+09:00
2006-06-10T07:56:28+09:00
2006-06-10T07:56:28+09:00
30yearssisterhood
シカゴ速報!
このツアーですっかりおなじみになった、シカゴ大学のFeminist Struggles in Japanというクラスの学生さんたち。今学期のパート2では、大学院生たちが中心になって、なんと日本語でフェミニズムに関する文献を読み、議論してきました。三木草子さん編集の『資料 日本ウーマンリブ史』からもいろいろ読みました!
また、『六ヶ所ラプソディー』や『新宿ボーイズ』などのドキュメンタリー映画のほかに、瀬山紀子さんが制作に参加された、『こーゆう生活がしたかったの〜障害をもったひとりの女性の日常ドキュメント』や、『松井やより 全力疾走』などの映画も見ました。『新宿ボーイズ』以外は全部日本語!
この授業で学んだことをもとにして、学生さんたちが開設したfemjapan - Feminism in Japanサイト。今学期は院生の担当となり、続々と更新されていますので、ぜひご覧ください。
http://femjapan.pbwiki.com/]]>
なんだか静ですね
http://sisterhood.exblog.jp/2185344/
2006-05-16T18:40:55+09:00
2006-05-16T18:40:55+09:00
2006-05-16T18:40:55+09:00
30yearssisterhood
未分類
みなさんこのところ静かですが、お元気ですか?
ツアーの報告は瀬山さんに任せっぱなしで山上はまだきちんと報告してなくてすみません。
スローな性格とpoorな英語の為に、情報をいただいても読むのがたいへん時間がかかつてお答えするまで進まない状態なんです。
土井さんの報告短かったけれど、とてもよかったです。ありがとう。
8月にはヌエックで報告会をしようと思っています。その頃にはビデオも出来ているはず?です。私もなんらかの報告ができると思います。
6月に申し込みをしますので、またはっきりしたらお知らせいたします。
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感想の続きについて
http://sisterhood.exblog.jp/1660872/
2006-04-07T18:34:09+09:00
2006-04-07T18:34:09+09:00
2006-04-07T18:34:09+09:00
30yearssisterhood
メッセージ
ブログがどうゆう媒体なのか良く分からないで書いていた面もあり、ブログ上でこれ以上私の長々とした感想を書き続けるのは、適切ではないように思えてきました。そこで、感想の寄稿を中止することにしました。短くまとめた感想を、雑誌『女性情報』4月号に書かせて頂きましたので、興味のある方はご覧ください。
短い期間でしたが、さまざまなコメントを寄せてくださった皆様に、感謝いたします。ありがとうございました。
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謝罪
http://sisterhood.exblog.jp/1542643/
2006-04-01T01:46:42+09:00
2006-04-01T02:13:19+09:00
2006-04-01T01:46:42+09:00
30yearssisterhood
メッセージ
以下は、私がジェーンさんに書いた謝罪のメールです。ジェーンさんは、快く私の謝罪を受け止めてくださり、本当に感謝しております。
Dear Jane,
Tomomi forwarded your mail to me. Thank you very much for your clarification and honest opinion about my report. As you may see comments down below in the same blog, I totally misunderstood a setup for the dinner and apologized for my comment. I will delete the paragraph from the blog and would like to formally apologize to you and Program Associate Center for Japanese Studies. I did not mean to call you racists. Rather I wished to point out that we as minority women tend to take it as a racial issue. I deeply regret having caused you disturbance. I hope you will accept my apology.
Best regards,
Yumi Doi]]>
ツアーの感想 3
http://sisterhood.exblog.jp/1384689/
2006-03-23T03:20:20+09:00
2006-03-23T03:20:20+09:00
2006-03-23T03:20:20+09:00
30yearssisterhood
メッセージ
d. セントルイス・ワシントン大学 (1)
この大学での体験は、すべてがちょっとしたカルチャーショックでした。
まずセントルイスの空港に着いたとたん、空港内に米軍の歴史を誇らしく描いた壁画が延々と描かれているので、ビックリ。西海岸では、こういう強烈な米軍礼賛の空港は見たこと無かったので、きっとこの街が米軍によって経済的支えられているのだろうなあ、なんて思いながら早々に空港を退散しました。
その夜の宿舎となったワシントン大学内にあるナイト・ホールというホテルに着いて、またビックリ。ミシガン大学で泊めてもらった古い学内宿舎と違い、高級感と機能性のあるとても快適なホテルなのです。部屋も、広々とした一人部屋でバスローブ付き。この大学すごくお金ありそう、という印象で、その感じは最後まで続きました。学内の廊下や教室もとても整然としてきれいで、シカゴ大学が、学生の場らしく雑然とゴチャゴチャしていたのと対照的です。
翌日は、午前中から3つのクラスに30分つづ参加させてもらいました。最初のクラスは、新入生のジェンダー・スタディのクラス。この教室に入ってまず驚いたのは、生徒がほどんど白人、しかも皆18, 9才の若くて初々しい女の子たちばかりだったこと。繰り返しになりますが、これも人種/年齢/性別がカラフルなシカゴ大のクラスとは随分違うなあという印象でした。
ちなみに、廊下やトイレを掃除しているのがすべて黒人の人たちというのも、まるで絵に描いたような階級社会の図。人種によってはっきりと色分けされた階級社会が、厳然とまだ残っているのを目の当たりにしたのは、少なからずショックでした。去年、南部を襲ったストームの時に、多くの黒人の人たちが取り残された事件が、現実感を持って感じられる体験でもありました。
このクラスでは、日本でのピルの解禁問題について、なぜリブの運動は解禁に長く反対だったのかの質問を受けたと思いますが、きちんとしたディスカッションにならない内に、別の話題に移ってしまったような記憶があります。これまた私の記憶違いかもしれないので、覚えている方がいたら補足してください。
良い機会なのので、ピルの解禁問題について、リブセンではどんな風に考えたかについて、ちょっと書いておこうと思います。
リブセンやグループ「緋文字」(リブセンを支える衛星グループ一つ。中絶や避妊について情報を『女のからだティーチイン』や出版物を通じて提供。信頼できる産婦人科医の紹介などもしてた。)女たちの間でピルは始めから、「ちょっと待ってよ」という態度でした。
まず、薬であることから副作用の心配があったので、女たちは慎重だったし、一般化しつつあった薬万能文化(アメリカはその極地、後述します)に対する警戒心もあったと思います。また、私たちが一番問題としたのは、ピルを飲む女の意識性の問題。男に「コンドーム付けて」と言うこともできない奴隷意識のままで、こっそりピル飲んでいては主体的な自己の確立はできない、という実にリブ的な視点から、ピル問題を捉えていたと思います。
一方、ピル解禁を狙う製薬会社と厚生省の関係などもきな臭かったので、様子をみようという感じもありました。そんな時に突然という感じで、中ピ連が登場して、あれよあれよいう間に「リブはピル解禁派」とマスコミでのイメージが出来上がっていくので、慎重派のリブセンとして困った状況でした。
秋山さんも映画の中でおっしゃていますが、中ピ連は最初から奇妙なグループで、揃いのきれいなピンクヘルメットや、集会でピルをバラまいたり(本当の話。実際にピルをもらった人がいた)と、資金不足で苦労していたリブセンからみると、どこから資金を得ているのだろうという疑問がありました。
しばらくすると、製薬会社(シオノギ製薬?)と関係の深い社会労働委員会に属する国会議員(名前ど忘れ)と、榎さんの関係が明るみに出て、びっくり。実は、リブ運動に見せかけた製薬会社の利益を代表する国会議員と榎さんが仕組んだ「ピル解禁キャンペーン」だったという恐い話。詳しいことは、当時のリブニュースに書かれていると思います。
という訳で、リブセンでは、ピルについて、自分たちの実感から発想するというリブらしい捉え方をしたのは、大きな成果の一つだったと思います。個人的には避妊の必要がない私ですが、身体と薬と主体的選択ということを一つのこととして捉え、女の生き方の問題にまで発展させて考える、とても良い体験でした。
ところが、アメリカでのピルの捉え方は大違いでした。私が来た80年代初め頃驚いたのは、前述の「男にコンドーム付けてと言うこともできない女の奴隷意識」について話したら、こちらのフェミニストたちが、まったく意味が解らないという感じだったことでした。「男にコンドーム付けさせるなんて態度で、どうやって自分の身体を守るのか? 強姦されたらどうするのか?」という反応で、私も「そ、そ、そんなにたくさんの女が強姦されるの?」とトンチンカンな反応をして、まったくかみ合なかったです。
副作用問題を聞いても「副作用はないし、あっても大した問題ではない」という感じで、ピルに対する信頼が篤かった。日本もアメリカも同じ運動していたとナイーブに思い込んでいた当時の私は、逆に「目からうろこ」の体験。完全に、「似て非なるもの」でした。
アメリカ人の薬や西洋医学に対する信頼は、日本とは比べものにならない程、高いと思います。このことについて、私が最近書いた「女性情報」の記事を読んでいただくと解りやすいと思いますが、「痛みや病いは悪だ」という意識がまずあるし、医学が人間を病いから解放する、という信仰に近い思い込みがあるように思います。だから医者は権威的で、社会的地位がとても高い。頭痛には鎮痛剤、鬱には抗鬱剤、避妊にはピル、という感じで薬に対する依存度も、すごく高い。
自分の身体は自分で守る、ピルが女を解放したと思っているフェミニストは多いはずです。ところが、90年代頃から、性行為を通してHIVウイルスに感染する知識が一般に広まって(それまでは、ゲイだけの問題だった!)、ピル万能の信仰が少し崩れたように思います。
ピルではHIVウイルスが防げないので、異性愛者の性行為でもコンドームを使おう、というキャンペーンが広まったのは、興味深い変化でした。だからといって、薬依存がなくなった訳ではありませんが、少なくともコンドームは復活した訳です。
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山上、イスタンブールからもどりました
http://sisterhood.exblog.jp/1339271/
2006-03-20T18:21:12+09:00
2006-03-20T18:21:12+09:00
2006-03-20T18:21:12+09:00
30yearssisterhood
未分類
本日20日10時55分に15時間もかかってモスクワ経由で戻りました。またまた寝っぱなしでした。
タクシーで料金をふんだくられたり、ホテルが最終日に取れてなかったりなんだか疲れる事が多い上に、食欲が無くて体力激減です。少しずつ回復させます。
映画祭は無料なわりには人が少ない。「30年のシスターフッド」上映には30人弱でがっくりしましたが、他の上映も同じでした。
きつかったけれど参加してUSツアーのこと日本でのこといろいろ違いが見えて考えさせられました。
アメリカと中近東も含めての欧州そしてアジアの映画の内容、テーマの取り上げ方、そして表現方法、また観客の関心、見方そして主催する側の意識などの違いがみえて面白かった。まだ具体的に言えないのですがなにかの機会に話したいと思います。
まずは帰国のおしらせでした。
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イリノイ大学イベントの様子が見られます!
http://sisterhood.exblog.jp/1299246/
2006-03-18T07:31:37+09:00
2006-03-18T07:35:30+09:00
2006-03-18T07:31:37+09:00
30yearssisterhood
メディア
http://www.aems.uiuc.edu/HTML/sisterhood.htm
山口ともみ]]>
ツアーの感想 2
http://sisterhood.exblog.jp/1297969/
2006-03-18T02:40:55+09:00
2006-04-01T01:15:45+09:00
2006-03-18T02:40:55+09:00
30yearssisterhood
メッセージ
c. イリノイ大学
この大学の上映会では、『…シスターフッド』以外に、"Looking for Fumiko"(映画の説明は、www.cine.co.jp/works1/list/90_9.htmlへ)の上映もありました。"…Fumiko"を観たのはこれが二度目でしたが、映画の始まりで映った史子さん(私はフミちゃんと呼んでいた)の顔が懐かしく、私が彼女を北海道に訪ねた71-2年の頃にことを思い出して、涙が出てしまいました。この映画が93か94年に、サンフランシスコのアジア映画祭で上映されるまで、フミちゃんがアメリカに来ていたことも、亡くなったのも知らなかったので、この映画を初めて観た時はその衝撃が強くて、あまり客観的な判断が出来なかった記憶があります。
横道にそれますが、忘れないうちにここで書いておきたいことがあります。
リブセンがあった当時、札幌のリブの女たち(『札幌リブ・メトロパリチェーン』というような名前のグループだと記憶していますが、間違っていたら訂正してください)の活動は、ものすごく活発で、毎号リブニュースを100部以上買い取って、リブセンをサポートしてくれる力強い仲間でした。互いの行き来も頻繁で、私も札幌の大きな家でコレティブ生活をしていた彼女たちを数回訪ねています。
彼女たちは、札幌市内に女の本屋や保育所、飲み屋さんまで経営していて、実にパワフルなグループでした。強力なリーダー的存在がいないにも関わらず、力強い運動展開をしていたことは、今思い返してもとてもリブ的だったと思います。互いに厳しいことも言い合う言うけど、基本的には女に優しい女たちだったので、一緒にいると無理をしないで自分でいられる安心感があった。正直なところ、リブセンの暮らしがあまり辛く、人間関係にも問題があったので、北海道に逃げて行きたい気持ちになったことが何度もありました。
フミちゃんは、その頃友人かお姉さんと、運動関係のポスターなどを印刷するシルクスクリーンのコレクティブを持っていて、カッコ良かったです。フミちゃんに言わせると、元々は彼女がリブ大会のシルクスクリーンを見てすごく刺激され、製作をしたPちゃん(『シスターフッド』に映画に出ている森さん)にやり方を教わって、北海道に知識を持ち帰ったと言っていました。美しいシスターフッドのある時代です。フミちゃんは、アーティスティックな感覚が鋭く、手先の技術に優れた人だったのでしょう。その後は、札幌パルコの仕事など、かなり微細なデザインの高度な仕事を引き受けるほど成功していました。これらのことは"…Fumiko"の映画では触れられていないので、ぜひ書いておきたいと思いました。
今回は前回より冷静な気持ちで観ることが出来た訳ですが、久しぶりにこの映画を観て、『…シスターフッド』との作り方と、目的の違いがはっきりと見えて、面白かったです。"…Fumiko"の方は、明らかにアメリカの観客に向けて説明的に作られている。いかにもドキュメンタリー映画らしいプロっぽい作りで(カメラは栗原監督のアメリカ人の夫かボーイフレンドだったと記憶していますが)、栗原さんがNHKなどのニュースアーカイブから、映像を買うために大分お金を使ったと言ってたのを覚えています。
栗原さんの出発には、フミちゃんとの出会いの感動があったはずなのに、その熱い思いが伝わってこなかった。彼女がこの作品以降映画を作っていないのも、その熱さの欠如から来ているのではないかという気がします。
栗原さんが映画の中で女たちに質問する内容も、「あの時は良かったけど、今はどうですか?」というような、リブ運動に対する不信感を助長するネガティヴな聞き方が多かったように思いました。これは観客と同じ場所に自分を置いて聞くという意図的な質問だったのか、実際の栗原さん自身の思いだったのか。しかし、こういう質問を選んだという事自体は、監督の製作姿勢を表れだと判断すべきでしょう。だから結果として、自分を安全地帯に置いて、外から中を覗くだけの映画になっているだと思います。作り手の主張の見えないのです。
個人的は、田中さんや麻鳥さん、舟本さんなどだけでなく、北海道の女たちの当時の姿と考えに触れることが出来たの、本当にうれしかったです。フミちゃんがいたあの力強い北海道のリブの運動は、もっと記録されるべきだと思いました。こういう記録になると必ず、田中さんが代表して語るみたいな傾向があると思うのですが、それではリブの全体像は残せないでしょう。これは、山口さんからも指摘されたことで、耳が痛かったです。という訳で、長くなることに恐縮しつつ、この記録を綴っています。
ようやく本題です。イリノイ大学上映会は、かなり小さな会場(詰めても30人でいっぱい)だったので、驚きました。最初からこんなに遠慮した感じの集まりにしなくても、という感じがしないではありませんでしたが、おいしいペーストリーやサンドイッチがなどが用意され、小さく集まったからこそできる歓迎の気持ちが伝わる温かな集まりでした。日系の年配女性の方や、ネイティブアメリカンの男性なども参加され、バラエティのある親密感の持てる雰囲気になり、緊張した前回よりかなりリラック出来たことは確かです。
ちなみに会場となったアジア系学生のホールという小さな建物は、この大きな大学構内にあるマイノリティ村のような一角にあり、隣りはネイティブアメリカンの学生の建物でした。こういう場があるというのはマイノリティの学生にとっては、ほっと息の付ける場なのかもしれないなと思う一方、これも社会の縮図みたいなものではないのかなと、向え側にあった経済だか歴史だかの巨大で重厚なビルディングとの対比で思いました。
私は、大昔にサンフランシスコの日本町で働いたことがあるのですが、あの町で日本語を使って働く気楽さと、気絶するほど安い賃金という閉塞感を体験しました。壁のないゲットー、壁の外(街の中心、ダウンタウンなり金融街なり)に出て、働く力が萎えていく感じを、ふっと思い出したのです。マイノリティの学生にとって、学内に自分たちの場と呼べるものあることの利点と、半面の危険性のようなもの考えてしまった訳です。
ここのディスカッションで特に印象に残っているのは、ネイティブアメリカンの男性のコメントでした。これも私の記憶違いがあれば、訂正をお願いしますが、彼が映画を見て面白いと感じたのは、初期のリブ女たちが長い時間座って延々と話をしたというところだったこと。なぜなら、彼が属すナバホの部族内でも物事を決める時に、上から下に決定事項を伝えるというやり方ではなく、ともかく座り込んで延々と話しあって物事を決めて行くからだ、と指摘してくれたことでした。ナバホとリブの共通点、これには、なるほどなあと思いました。私がネイティブアメリカンの文化に無知であったこともあるのですが、この指摘は重要なことだと思いました。
つまり、すべての問題を個から出発させる、という方法論です。これには手間と時間が掛かる。でも、初期のリブは女たち一人一人の声をとても大切にしたことは事実でした。今でも思い出すのは、リブセンでリブニュースの名前を決めるのに、延々と話し合ったこと。名前一つ決めるのに何日も掛け、ご飯を作って食べたりしながら、皆でアイディアを出し合った。実に非効率的でしたが、ああいう体験の中にこそ、リブの力と可能性があったのだと、今思います。
ところが、リブセンという場を持ったことで、運動は加速的に忙しくなり、非効率的なミーティングをする余裕が無くなっていった。会議はだんだん企業社会のような、議題を決めて効率良く決定をしていくようになり、さらには発言力のある人が決定権を持ち始め、上と下という二重構造が固定化していった。あの時点で、リブの精神性はすでに死んでいたと思います。
札幌のリブが、リブセンの失敗から免れたのは、地域的に北にあったことが大きかったかもしれません。リブセンの不幸は、東京という政治や経済の中心地に運動の拠点があったこと。優生保護法や刑法の改悪問題など、国会に出かけて阻止する運動を担い、その運動を進めていくために強力な指導力や発言力、行動力を持った女が生まれる必然があったのだと思います。
しかも、運動は役割分担がはっきりした方が、進めやすかった。企業社会と一緒です。という訳で、強力な指導力や発言力、行動力を持たない私は黙々と印刷物を刷っては、ビラまきをしていた。これでは、まったく男社会の力の論理のままではないかと精神的に落ち込みつつ、自分には力がないから仕方がないのだと、思い込んでいた。社会的な逆風も強く、ここで自分が辞めたら、女の解放運動は負けだ、という幼い気負いもあったと思います。
東京にいても、個を大切にするリブの精神を保つ運動展開することも可能だったと思いますし、あの当時、リブセンを去っていったたくさんの女たちも、同じ思いだったのではないかと今になって思います。しかし、あの時の私には、リブセンの方向を転換させるような提起をすることが出来なかった、ということです。その後、自分の非力を責めるような時期が長く続き、アメリカへ渡航という展開になっていきます。私の問題は、すべてを自分の非力の問題に期してしまったこと。リブセンの変質の問題は、私の個人的な問題ではなく、あの時代と運動の未熟さ、運動論の確立の欠如など、運動自体の問題であったと思います。
という訳で長い話になりましたが、ナバホの男性の指摘は本当にうれしかった。その彼から以下の手書きのメッセージをその場でもらいました。
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ツアーの感想 1 補足
http://sisterhood.exblog.jp/1295968/
2006-03-18T00:28:39+09:00
2006-03-18T00:28:38+09:00
2006-03-18T00:28:38+09:00
30yearssisterhood
メッセージ
(注1)質問者は日本のマイノリティとして、在日朝鮮人、中国人、非差別部落、アイヌ、沖縄、従軍慰安婦、身体障害者の女たちの問題を挙げていた。
(注2)基本的な左翼のリブへの批判は、階級意識がなく、婦人労働者の戦い、差別部落(当時、狭山差別裁判問題が運動の目になっていた)、アジアの女(ベトナム戦争中)への連帯をしないで、自分たちの性の解放なんかを語る中産階級プチブル女の運動だ、というもの。
(注3)上記の批判に対して、女への性の抑圧の根は一つ、男社会(父権制社会)の価値観であることを指摘した。この抑圧は、在日朝鮮人、中国人、非差別部落、アイヌ、沖縄、従軍慰安婦、身体障害者、中産階級などの、社会的、階級的、人種的に分断されている女に例外なく共通した抑圧であり、女たちはこの抑圧の認識を通じて連帯できると考えた。敵は、女を分断する男社会であり、リブを批判する左翼の運動も男社会の一部だと捉えた。]]>
東京にたどり着きました
http://sisterhood.exblog.jp/1291346/
2006-03-17T20:51:38+09:00
2006-03-17T20:51:37+09:00
2006-03-17T20:51:37+09:00
30yearssisterhood
ツアー情報
山口さん、ほんとにお世話になりましたー。無事に東京のちいさな家に帰り着きました。土井さんのツアー記もはじまっているではないですか。たのしみです。
これから先のツアー報告のことなど、またこのブログでも報告していけたらと思っています。
まずは、無事帰宅のお知らせまで。
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土井さんのブログ「サンフランシスコ・シネマライフ」リンクに追加!
http://sisterhood.exblog.jp/1282756/
2006-03-17T08:27:59+09:00
2006-03-17T08:29:07+09:00
2006-03-17T08:27:59+09:00
30yearssisterhood
参加者情報
土井ゆみさんのブログ、「サンフランシスコ・シネマライフ」をこのブログのリンクに追加しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yumidoifilm/
サンフランシスコから発信される、最新の映画やニュースについてなど、生の情報が満載!ぜひぜひご覧ください。
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せやまさん東京へ
http://sisterhood.exblog.jp/1281341/
2006-03-17T02:38:17+09:00
2006-03-17T02:39:40+09:00
2006-03-17T02:38:17+09:00
30yearssisterhood
シカゴ速報!
先ほど、せやまさんをオヘア空港に送っていき、帰ってきたところです。
今日は雪という予報もあったのですが、とりあえず空港への行き帰りの間は降らずに助かりました。しかし今になったら、外でひらひらと雪が舞い始めています。
私も今回のツアーで、オヘア空港に何度行っただろう、というくらい。空港までの道のりも、空港内でどこに何があるかについても、かなり把握してしまいました。
せやまさんはトルコの話を大興奮モードで聞かせてくれました。かなり草の根的映画祭だったみたいで、心地よかったとか。イスタンブール観光も満喫したようで、怪しいトルコのお菓子と、陶器製お守りのお土産をいただきました。せやまさん、お気遣いありがとう!
昨日、フライドグリーントマトを食べにいった店で、シカゴ大学のイベントで通訳をしてくださったみかさんと偶然遭遇!とても素晴らしい通訳をしてくださって本当にお世話になった方です。その他にも、各地で様々な形でお世話になった方々の話がでました。
報告集会とか、記録をどうやって残すとか、これから考えなくてはいけないねえ、、という話も出ました。これはまたせやまさんが日本に帰られてから、本格的に話し合って行こうと思います。]]>
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