土井です。まだまだ続く感想です。
d. セントルイス・ワシントン大学 (1)
この大学での体験は、すべてがちょっとしたカルチャーショックでした。
まずセントルイスの空港に着いたとたん、空港内に米軍の歴史を誇らしく描いた壁画が延々と描かれているので、ビックリ。西海岸では、こういう強烈な米軍礼賛の空港は見たこと無かったので、きっとこの街が米軍によって経済的支えられているのだろうなあ、なんて思いながら早々に空港を退散しました。
その夜の宿舎となったワシントン大学内にあるナイト・ホールというホテルに着いて、またビックリ。ミシガン大学で泊めてもらった古い学内宿舎と違い、高級感と機能性のあるとても快適なホテルなのです。部屋も、広々とした一人部屋でバスローブ付き。この大学すごくお金ありそう、という印象で、その感じは最後まで続きました。学内の廊下や教室もとても整然としてきれいで、シカゴ大学が、学生の場らしく雑然とゴチャゴチャしていたのと対照的です。
翌日は、午前中から3つのクラスに30分つづ参加させてもらいました。最初のクラスは、新入生のジェンダー・スタディのクラス。この教室に入ってまず驚いたのは、生徒がほどんど白人、しかも皆18, 9才の若くて初々しい女の子たちばかりだったこと。繰り返しになりますが、これも人種/年齢/性別がカラフルなシカゴ大のクラスとは随分違うなあという印象でした。
ちなみに、廊下やトイレを掃除しているのがすべて黒人の人たちというのも、まるで絵に描いたような階級社会の図。人種によってはっきりと色分けされた階級社会が、厳然とまだ残っているのを目の当たりにしたのは、少なからずショックでした。去年、南部を襲ったストームの時に、多くの黒人の人たちが取り残された事件が、現実感を持って感じられる体験でもありました。
このクラスでは、日本でのピルの解禁問題について、なぜリブの運動は解禁に長く反対だったのかの質問を受けたと思いますが、きちんとしたディスカッションにならない内に、別の話題に移ってしまったような記憶があります。これまた私の記憶違いかもしれないので、覚えている方がいたら補足してください。
良い機会なのので、ピルの解禁問題について、リブセンではどんな風に考えたかについて、ちょっと書いておこうと思います。
リブセンやグループ「緋文字」(リブセンを支える衛星グループ一つ。中絶や避妊について情報を『女のからだティーチイン』や出版物を通じて提供。信頼できる産婦人科医の紹介などもしてた。)女たちの間でピルは始めから、「ちょっと待ってよ」という態度でした。
まず、薬であることから副作用の心配があったので、女たちは慎重だったし、一般化しつつあった薬万能文化(アメリカはその極地、後述します)に対する警戒心もあったと思います。また、私たちが一番問題としたのは、ピルを飲む女の意識性の問題。男に「コンドーム付けて」と言うこともできない奴隷意識のままで、こっそりピル飲んでいては主体的な自己の確立はできない、という実にリブ的な視点から、ピル問題を捉えていたと思います。
一方、ピル解禁を狙う製薬会社と厚生省の関係などもきな臭かったので、様子をみようという感じもありました。そんな時に突然という感じで、中ピ連が登場して、あれよあれよいう間に「リブはピル解禁派」とマスコミでのイメージが出来上がっていくので、慎重派のリブセンとして困った状況でした。
秋山さんも映画の中でおっしゃていますが、中ピ連は最初から奇妙なグループで、揃いのきれいなピンクヘルメットや、集会でピルをバラまいたり(本当の話。実際にピルをもらった人がいた)と、資金不足で苦労していたリブセンからみると、どこから資金を得ているのだろうという疑問がありました。
しばらくすると、製薬会社(シオノギ製薬?)と関係の深い社会労働委員会に属する国会議員(名前ど忘れ)と、榎さんの関係が明るみに出て、びっくり。実は、リブ運動に見せかけた製薬会社の利益を代表する国会議員と榎さんが仕組んだ「ピル解禁キャンペーン」だったという恐い話。詳しいことは、当時のリブニュースに書かれていると思います。
という訳で、リブセンでは、ピルについて、自分たちの実感から発想するというリブらしい捉え方をしたのは、大きな成果の一つだったと思います。個人的には避妊の必要がない私ですが、身体と薬と主体的選択ということを一つのこととして捉え、女の生き方の問題にまで発展させて考える、とても良い体験でした。
ところが、アメリカでのピルの捉え方は大違いでした。私が来た80年代初め頃驚いたのは、前述の「男にコンドーム付けてと言うこともできない女の奴隷意識」について話したら、こちらのフェミニストたちが、まったく意味が解らないという感じだったことでした。「男にコンドーム付けさせるなんて態度で、どうやって自分の身体を守るのか? 強姦されたらどうするのか?」という反応で、私も「そ、そ、そんなにたくさんの女が強姦されるの?」とトンチンカンな反応をして、まったくかみ合なかったです。
副作用問題を聞いても「副作用はないし、あっても大した問題ではない」という感じで、ピルに対する信頼が篤かった。日本もアメリカも同じ運動していたとナイーブに思い込んでいた当時の私は、逆に「目からうろこ」の体験。完全に、「似て非なるもの」でした。
アメリカ人の薬や西洋医学に対する信頼は、日本とは比べものにならない程、高いと思います。このことについて、私が最近書いた「女性情報」の記事を読んでいただくと解りやすいと思いますが、「痛みや病いは悪だ」という意識がまずあるし、医学が人間を病いから解放する、という信仰に近い思い込みがあるように思います。だから医者は権威的で、社会的地位がとても高い。頭痛には鎮痛剤、鬱には抗鬱剤、避妊にはピル、という感じで薬に対する依存度も、すごく高い。
自分の身体は自分で守る、ピルが女を解放したと思っているフェミニストは多いはずです。ところが、90年代頃から、性行為を通してHIVウイルスに感染する知識が一般に広まって(それまでは、ゲイだけの問題だった!)、ピル万能の信仰が少し崩れたように思います。
ピルではHIVウイルスが防げないので、異性愛者の性行為でもコンドームを使おう、というキャンペーンが広まったのは、興味深い変化でした。だからといって、薬依存がなくなった訳ではありませんが、少なくともコンドームは復活した訳です。